横綱照ノ富士(2024年2月撮影)
日本相撲協会は初場所5日目の16日、横綱照ノ富士(33=伊勢ケ浜)の現役引退の意向を固めたことが分かった。
東京・両国国技館で行われている初場所に、照ノ富士は2場所連続全休明けで臨んだが、4日目に前頭翔猿に敗れて2敗目。5日目に休場を届け出た。慢性的な両膝痛や持病の糖尿病の影響で、横綱在位21場所で13度目の休場。今後は伊勢ケ浜部屋で部屋付き親方として、後進の指導にあたる。
波乱の相撲人生だった。初土俵は11年5月の技量審査場所。当初は3月の春場所で初土俵を踏む予定だったが、当時の大相撲は、前年からの野球賭博、さらには八百長問題に揺れ、春場所は中止となっていた。入門は元横綱の2代目若乃花が師匠を務めた間垣部屋で、当時のしこ名は若三勝(わかみしょう)だった。その後、間垣部屋の閉鎖に伴い、現在の伊勢ケ浜部屋に移籍、しこ名を照ノ富士に改名した。13年秋場所で新十両、14年春場所で新入幕、15年春場所で新三役と順調に出世した。
三役2場所目の15年夏場所で初優勝を果たし、場所後には新大関に昇進した。黄金時代到来を予感する相撲ファンも多かったが、ここから両膝痛、糖尿病に苦しめられることになった。大関だった17年名古屋場所から4場所連続休場で十両まで転落。18年春場所こそ皆勤したが、糖尿病の影響で力は出ず、両膝痛で踏ん張りもきかなくなり、6勝9敗と負け越した。翌場所から再び5場所連続で休場し、番付はついに序二段まで下がった。
だが、不屈の精神力で再び番付を駆け上がった。幕内で3度の優勝を重ね、21年名古屋場所後に横綱に昇進。大関が序二段まで番付を下げて出場することも初めてという中、その大関を越えて番付の頂点に立つ、誰も経験したことのない偉業を達成した。昇進後も6度賜杯を抱き、通算優勝回数は、最後に皆勤した昨年名古屋場所で10度に達していた。
今場所に懸ける思いは強かった。初白星を挙げた2日目の前頭隆の勝戦後には「今場所は自分の中で、やれることをやって『駄目だったら』という思いがあったので、1つ、自信になりました。今場所で自分の全てを出し切ってやりたいなと思っているので、後先考えずにやりたいなと考えています」と話していた。この日、会場にはドルジハンド夫人、2歳の長男照務甚(てむじん)くんら家族を招き「勝っている相撲を見せられて、よかったと思います」と、最後の勇姿を見せられたことに、喜びをかみしめていた。
今後は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)のもと、同じく部屋付きの宮城野親方(元横綱白鵬)らとともに、後進の指導にあたる。近日中に引退会見が行われる。
◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・杉野森正山。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル生まれ。11年技量審査場所初土俵。13年秋場所新十両、14年春場所新入幕。15年夏場所、関脇で初優勝を飾り大関に昇進。その後にけがなどで序二段まで番付を下げるも19年春場所で復帰。21年名古屋場所後に横綱昇進。同年8月に日本国籍を取得。家族は夫人と1男。192センチ、176キロ。得意は右四つ、寄り。
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横綱照ノ富士(2024年2月撮影)
日本相撲協会は初場所5日目の16日、横綱照ノ富士(33=伊勢ケ浜)の現役引退の意向を固めたことが分かった。
東京・両国国技館で行われている初場所に、照ノ富士は2場所連続全休明けで臨んだが、4日目に前頭翔猿に敗れて2敗目。5日目に休場を届け出た。慢性的な両膝痛や持病の糖尿病の影響で、横綱在位21場所で13度目の休場。今後は伊勢ケ浜部屋で部屋付き親方として、後進の指導にあたる。
波乱の相撲人生だった。初土俵は11年5月の技量審査場所。当初は3月の春場所で初土俵を踏む予定だったが、当時の大相撲は、前年からの野球賭博、さらには八百長問題に揺れ、春場所は中止となっていた。入門は元横綱の2代目若乃花が師匠を務めた間垣部屋で、当時のしこ名は若三勝(わかみしょう)だった。その後、間垣部屋の閉鎖に伴い、現在の伊勢ケ浜部屋に移籍、しこ名を照ノ富士に改名した。13年秋場所で新十両、14年春場所で新入幕、15年春場所で新三役と順調に出世した。
三役2場所目の15年夏場所で初優勝を果たし、場所後には新大関に昇進した。黄金時代到来を予感する相撲ファンも多かったが、ここから両膝痛、糖尿病に苦しめられることになった。大関だった17年名古屋場所から4場所連続休場で十両まで転落。18年春場所こそ皆勤したが、糖尿病の影響で力は出ず、両膝痛で踏ん張りもきかなくなり、6勝9敗と負け越した。翌場所から再び5場所連続で休場し、番付はついに序二段まで下がった。
だが、不屈の精神力で再び番付を駆け上がった。幕内で3度の優勝を重ね、21年名古屋場所後に横綱に昇進。大関が序二段まで番付を下げて出場することも初めてという中、その大関を越えて番付の頂点に立つ、誰も経験したことのない偉業を達成した。昇進後も6度賜杯を抱き、通算優勝回数は、最後に皆勤した昨年名古屋場所で10度に達していた。
今場所に懸ける思いは強かった。初白星を挙げた2日目の前頭隆の勝戦後には「今場所は自分の中で、やれることをやって『駄目だったら』という思いがあったので、1つ、自信になりました。今場所で自分の全てを出し切ってやりたいなと思っているので、後先考えずにやりたいなと考えています」と話していた。この日、会場にはドルジハンド夫人、2歳の長男照務甚(てむじん)くんら家族を招き「勝っている相撲を見せられて、よかったと思います」と、最後の勇姿を見せられたことに、喜びをかみしめていた。
今後は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)のもと、同じく部屋付きの宮城野親方(元横綱白鵬)らとともに、後進の指導にあたる。近日中に引退会見が行われる。
◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・杉野森正山。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル生まれ。11年技量審査場所初土俵。13年秋場所新十両、14年春場所新入幕。15年夏場所、関脇で初優勝を飾り大関に昇進。その後にけがなどで序二段まで番付を下げるも19年春場所で復帰。21年名古屋場所後に横綱昇進。同年8月に日本国籍を取得。家族は夫人と1男。192センチ、176キロ。得意は右四つ、寄り。